全国ホストクラブ街探訪 歌舞伎町編

全国ホストクラブ街探訪 歌舞伎町編 コラム

歌舞伎町は、東京都新宿区にある日本最大の歓楽街です。
日本のみならず、世界でも有数の歓楽街です。

~世界の歓楽街 勝手にBEST5~
1.バンコク(タイ)
2.歌舞伎町(日本)
3.ラスベガス(アメリカ)
4.ベルリン(ドイツ)
5.リオデジャネイロ(ブラジル)

ホストクラブ街としても日本最大で、圧倒的な店舗数を誇ります。
今回はそんな歌舞伎町を解説します!

歌舞伎町は、住所的には東京都新宿区歌舞伎町一丁目、および二丁目です。
新宿駅・西武新宿駅・新宿三丁目駅、東新宿駅に囲まれたエリアです。
新宿駅から徒歩7分程度、西武新宿駅からは降りてすぐの所です。

新宿は、世界一の乗降客数を誇る駅です。
日本中、いや世界中から人が集まってくる場所と言えます。

歌舞伎町の面積は、一丁目と二丁目を合わせても約0.35平方キロメートルです。
東京ドームおよそ7.4個分です。
全力で走れば、端からは時まで1分ちょっとといった感じですね。
この狭いエリアにものすごい数の店舗が密集しています。

業種店舗数
飲食店約1500件
ホストクラブ約300件
キャバクラ約200件
風俗店約250件
バッティングセンター2件

歌舞伎町は、江戸時代に宿場町として栄えた『内藤新宿』が始まりです。
現在の繁華街は、江戸時代の遊郭やその近隣にある場合が多いです。
宿場町には遊郭以外にも非公式な遊郭のような場所があり、『岡場所』と呼ばれていました。
内藤新宿もその1つです。
内藤新宿は現在の歌舞伎町よりも広く、岡場所は新宿三丁目あたりです。
戦前にはこのエリアは、角筈と呼ばれ赤線地帯に指定されました。

戦後、新宿は壊滅して焼野原となっていました。
復興の一環として新宿駅東口周辺の再開発が行われ、1948年に『歌舞伎町』と命名されました。
歌舞伎町の爆誕です。

江戸時代、派手で突飛な振る舞いをすることを『かぶく』と言いました。
奇抜な衣装で踊る『かぶき踊り』が生まれ、日本の伝統的な演劇『歌舞伎』に発展しました。

戦後の新宿東口の再開発時に、歌舞伎劇場を建設する計画がありました。
そして名付けられた町名が『歌舞伎町』です。
結局実現はせず、名前だけが残りました。

2020年から2022年頃、歌舞伎町は1度死にました。
いや、殺されたと言っても過言ではないでしょう。
新型コロナウィルス感染症が原因です。
飲食店が感染源(クラスター)とされ、休業を余儀なくされました。
特にホストクラブは槍玉に挙げられ、ひどいヘイトを受けるようになりました。

2023年以降は、だんだんと客足が戻っていきました。
2025年現在では、インバウンドの影響もありコロナ前より賑わっています。

YouTubeではライブカメラの映像が見られます。

2020年頃までは第三次ホストブームと言われ、歌舞伎町もホストクラブが乱立していました。
売上1億円を達成するホストも多く現れました。
その後のコロナ禍で勢いは落ち、潰れる店舗も多くありました。
コロナが収まるにつれて、ホスト業界は再び息を吹き返しました。
店舗は増加し、大箱も増え、ホストクラブの売上もどんどん上がりました。

ホストクラブへのお金の流入が急激に伸びる陰には、歪みが生まれます。
過去のホストブームもそうして終焉しました。
今回も無理な売掛や立ちんぼなどが社会問題となり表面化し始めます。

2025年6月28日『改正風営適正化法』が施行されました。
ホストの競争を無くす事で、歪みを無くそうというのが趣旨です。
改正風営法には、ナンバー制や役職の廃止など多くの禁止事項が盛り込まれました。
そして、罰則もとても重くなりました。

改正風営法を受け、歌舞伎町の風景にもかなりの変化してきています。

歌舞伎町の主な変化
・ホストのアドトラックがなくなった
・ホストの看板からナンバー・売上・役職が消えた
・客引き(外販)がうろつかなくなった

歌舞伎町の中でも、ホストクラブは集中しています。
下記が歌舞伎町のホストクラブ街です。

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