ホストクラブのある場所って?

ホストクラブのある場所 コラム

ホストクラブって、決まったエリアに密集してありますよね。
たとえば歌舞伎町なら300店舗くらいあります。
あの狭いエリアで…そりゃ競争は激しくなるわけです。

もっとライバルの少ない所にオープンすればいいのに…って思いませんか?
そこで、なんでホストクラブは同じ場所に固まっているのかを解説します。

まず大きな問題として風俗営業法があります。

風営法では、保全対象施設との距離が決められています。
保全対象施設とは、学校や病院、児童福祉施設などの事です。
東京都では図書館も含まれます。
子供が遊ぶ公園も、児童福祉施設に含まれる場合があります。
それらから50~100メートル以上離れていないといけません。
都会ではかなりハードルが高いです。

そこで特例地域があります。
特例地域では、条件を満たさなくても営業することが認められています。
風俗営業をする店舗は、そのエリアに必然的に集まるのです。

地方であれば法律上の規制に影響を受けない地域多くあります。
そこでオープンすればいいのでは?という意見もあるでしょう。
しかし、世の中は需要と供給で成り立っています。
地方の需要だと1店舗、あっても数店舗という感じでしょう。

ホストクラブの需要

ホストクラブにとって『需要が多くある場所』とはどういう所なのでしょうか。
それはズバリ『ナイトワークの女性が多い所』ということです。
なぜナイトワーク限定?それはお金を持っているからです。
例えば、月100万円を売り上げるホストが10人いる場合、月1000万円の需要が必要です。
運営スタッフの人件費、飲食物の原価、家賃を考えるとそれ以上です。
そうなると、お金を持っているお客さまが多い場所でないと営業できません。

遊郭のイメージ

キャバクラや風俗店も風営法に縛られているので、店舗が集まっています。
特に風俗店は、営業が許される場所が限られています。

それってどんな所なのか…
それは日本の歴史と関係があります。
少し脱線しますが、解説しましょう。

売春を行う人(遊女)は、大昔から存在しました。
そして、室町時代に幕府がそれを管理して税金をとるようになりました。
安土桃山時代には、場所も管理するようになり【遊郭】が誕生します。

江戸時代になると遊郭は栄え、宿場町の一部でも売春が黙認されるようになりました。
このあたりのお話は、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」でもやってました。
そしてこれらの土地には風俗・風俗営業が根付いていきました。

戦前になると、警察は遊郭を地図上で赤い線で囲みました。
その線の内側のみ売春が許可されていました。
戦後、1946年にGHQによって売春の許可が廃止されました。

しかし根付いたものは変わらず、赤い線の内側は【赤線】と呼ばれて売春は継続。
線の外で売春が黙認されてるエリアは青い線囲まれることが多く【青線】と呼ばれました。
1957年に売春防止法によって、売春は完全に禁止されます。

いや、ながながといったい何の話???
と思われたかもしれません。

実はこの赤線青線と呼ばれていた地域が、今の歓楽街に繋がっているんです。

5大ホストクラブ街はすべて近隣に遊郭があった赤線青線のエリアです。
他のホストクラブ街も、多くが赤線青線に縁のあるエリアです。

歌舞伎町

戦前は新宿三丁目に内藤新宿遊郭があって赤線地帯になりました。
その付近の歌舞伎町を含むエリアも青線的なグレーゾーンになりました。

> 歌舞伎町のホストクラブ求人

ミナミ

戦前は近隣に新町遊郭があって赤線地帯になりました。
宗右衛門町や心斎橋は青線的なグレーゾーンになりました。

> ミナミのホストクラブ求人

名古屋(錦三丁目・栄)

近隣には中村遊郭があって赤線地帯になりました。
錦三丁目は花街で芸妓や私娼がいました。
戦後はその付近も青線的なグレーゾーンになりました。

> 名古屋のホストクラブ求人

すすきの

赤線地帯にはなっていませんが、戦前には薄野遊郭がありました
戦後は青線的なグレーゾーンになりました。

> すすきののホストクラブ求人

中洲

近隣に新柳町遊郭があって戦後に赤線地帯に指定されました。
中洲も青線的なグレーゾーンになりました。

> 中洲のホストクラブ求人

風俗は地域に根付きます。

遊郭があった場所の近くは、後に歓楽街になって風俗が栄えました。
風俗が栄えるとナイトワークの女性が増えてホストクラブに需要が生まれます。
ホストクラブの需要の多ければホストクラブが増えてホストクラブ街になります。

ホストクラブ街の場所の考察が室町時代に繋がるお話でした。
歴史って面白いですね!

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